弁護士「小倉悠治」

昭和56年、神奈川県生まれ、私が弁護士になった理由とは?

こんにちは。兼六法律事務所の弁護士の小倉悠治です。
ここでは私の自己紹介や、弁護士を目指した経緯、どんな弁護士になりたいか?についてお伝えしたいと思います。

昭和56年 神奈川県で生まれる
平成16年 東京大学教育学部卒業
平成19年 慶應義塾大学大学院法務研究科修了
平成20年 弁護士登録
平成25年 香林坊ロータリークラブ 会員
平成26年 いしかわ司法福祉研究会 設立
論文など 季刊刑事弁護85号「司法と福祉との連携」座談会
自由と正義2016年Vol.67「一部執行猶予制度の概要」
趣味 読書、温泉めぐり

弁護士「小倉 悠治」

公益活動等
高齢者・障がい者の支援 司法と福祉の連携を目指し、いしかわ司法福祉研究会を設立し、弁護士・社会福祉士・精神保健福祉士・臨床心理士・児童福祉司・看護師等が連携し、年4回勉強会を開催しています。
刑事弁護活動 依存症で苦しむ人への支援を行う北陸アディクションリカバリーパートナーズ(HARP)と連携しています。また、罪に問われた人の更生を支援するため、弁護士会内で更生支援プロジェクトチームを結成しました。
弁護士「小倉 悠治」

小学生の頃、母と二人で金沢に。金沢のやさしさに感動。

私は、神奈川県川崎市出身です。

私が金沢に最初に来たのは、小学生の頃でした。母と2人で金沢に旅行に来たのです。まだ新幹線もなく、長岡駅で特急列車に乗り換えたことを覚えています。

母がガイドブックである小料理屋を見つけ、そこで夕食をとることに決めました。しかし、その小料理屋とおぼしき店は玄関の扉が閉まっていました。私はおかしいなと思い、戸を叩いてみたり、がたがたと動かそうとしてみたりしたのですが、開きません。

物音を聞きつけ、中から1人の女性が出てきました。ちょうどよかったと思い、ガイドブックを示して、この店舗を探していると言うと、「あぁ、これはうちです」と言われます。食事に来たのですが…と言うと、「実は朝から風邪で寝込んでおりまして・・・。今日は休ませていただいているのです」と言われます。

それでは仕方がないと思い、帰ろうといたしました。すると、「あ、ちょっと待って下さい。どちらからおいでたのですか?」と聞かれるので、関東から来た旨を伝えました。すると、その女性は少し考えた後で、「どうぞお入り下さい」と言われたのです。

風邪で寝込んでいる人に悪いと思い、辞退したのですが、遠くからわざわざ訪ねてきた人を帰すわけにはいかない、どうしても食べていって下さいと言われるのです。好意に甘え、夕食をいただくことになりました。

私は、小学生ながら、何とか喜んでもらおうという、そのやさしい思いやりに感動しました。金沢とは何とすばらしいところなのだろうと心に残りました。

そして、司法修習で金沢に配属されることとなり、改めて金沢の良さを肌で感じることができました。その時の縁で、兼六法律事務所に入所することとなりました。

小学生の頃、母と二人で金沢に。金沢のやさしさに感動。

弁護士になろうと思ったきっかけは、大好きだった祖父の言葉。

私の母方の祖父は画家でした。私が小学生のころ、喉頭がんで入院闘病の末、この世を去りました。その祖父は、見舞いに訪れる私に「お前は医者か弁護士になれ」と繰り返し言っていました。

その頃はそれほど気にもとめていなかったのですが、大学生になり、真剣に就職先を探そうとしたとき、祖父の言葉が脳裏をかすめたのです。

どうせ仕事をするなら、やりがいのある仕事がいい。自分の手で人を救うことができるなら、こんなにやりがいのある仕事はない。

弁護士になろうと思ったきっかけは、大好きだった祖父の言葉。

そう思った時、弁護士という仕事がとても魅力的に思えました。

時あたかも、司法試験制度の大改革の時期で、法科大学院に行けば、80%の人が合格すると言われた時でした。私はその言葉を真に受け、法科大学院への進学を決意しました。

私は大学で教育学を学んでいたので、法律は素人。毎回の授業で100ページ以上の論文を読みこなすことを続け、3年間の猛勉強は正直きついものでした。

しかし、周りは皆、会社を辞めて来た人ばかりで、気迫が違いました。勉強のしすぎで倒れてしまい、救急車で運ばれるという失態もやらかしましたが、何とか一回で司法試験に合格することができました。

あなたに会えてよかった。そんなことを言われる弁護士に。

従来の弁護士の枠にとらわれず、「あなたに会えてよかった」と言われる弁護士を目指しています。そのために、まずは依頼される方の話に真摯に耳を傾け、その方が悩んでいることの総合的な解決を目指します。

あなたに会えてよかった。そんなことを言われる弁護士に。