弁護士「柴田未来」

北海道紋別市生まれ、流氷が来る北の端っこ。

こんにちは。兼六法律事務所の弁護士の柴田 未来です。
ここでは私の自己紹介や、弁護士を目指した経緯、どんな弁護士になりたいか?についてお伝えしたいと思います。

私は、北海道紋別市という小さな町で生まれました。
冬になると、流氷が来る日本の北の端っこです。

4歳で保育所に入所したものの、1ヶ月の登園拒否、そして、中退をしたのでした。眠くもないのに昼寝を強いられることが嫌でたまらなかったようです。

私が住んでいた地域は、日本で初めて赤字ローカル線が廃止されたところでもあります。高校生の時に、町から線路がはがされる体験をしました。大量輸送手段がなくなり、急速な過疎化を経験しました。今、日本全国が直面している問題の先駆けだったと思います。

弁護士「柴田 未来」

アメリカへの留学、神戸大学での政治学など人生観が変わった学生時代

そんな田舎で育ちましたが、高校2年生の時、アメリカ・オレゴン州の高校に留学し、世界には日本とは違う社会があることを学びました。

高校卒業後は神戸大学法学部に進み、頭書は政治学を専攻しました。後に防衛大学校の学長にもなられた五百旗頭真教授のゼミに入れて頂いて、戦後の日本統治に関するアメリカ国内での議論やリーダーシップ論などを大変おもしろく学ばせて頂きました。

けれども、政治学を学ぶうちに、少数であっても正しいと思うことを主張できる法律家を志し、進路を変更しました。

アメリカへの留学、神戸大学での政治学など人生観が変わった学生時代

司法試験受験中に阪神大震災を経験し、絶対に動かないと思っていた大地すら動くのだ、という現実を突きつけられた時に、私の人生観は大きく変わったように思います。

著作権法の改正活動など、弁護士として幅広く活動!

平成12年に弁護士になり、東京の法律事務所に就職しました。

ここで、漫画家さんの団体の事務局として、マンガを産業として伸ばしていくために著作権法改正を目指して立法活動を始めました。

弘兼憲史先生、さいとう・たかを先生、藤子不二雄A先生等、日本のマンガ界をずっと引っ張ってこられた皆さんとともに活動できたことはとても刺激的でした。

衆参両院の委員会に参考人として出席された弘兼憲史先生の付添人として国会にも伺いました。その後、この法案は無事に本会議で可決され、平成16年から施行されています。

著作権法の改正活動など、弁護士として幅広く活動!

また、小泉内閣で『知財立国』のかけ声に応じて設立された、『エンターテインメント・ロイヤーズ・ネットワーク』の創設時の事務局、日本弁護士連合会で知財担当の非常勤嘱託を勤めました。

このような活動を経て、一度本場の映画作り、エンターテインメント・ロイヤーの活動を知りたいと思い、ロサンゼルスで映画プロデュースを学ぶことにしました。

その後、通訳・翻訳に勉強の方向を変えて、合計5年間、アメリカで過ごしました。

平成23年3月11日も、私はロサンゼルスにいました。

日本から配信された東日本大震災の映像を見た友人のアメリカ人達に、なぜ日本ではこんな災害が起きても暴動も略奪も起きないのかと何度も聞かれました。この時、秩序と忍耐をもつ日本人が、世界で高い尊敬を集めていることを知りました。

満開の桜並木、着物を着こなす金沢の人々。そんな場所で働きたい!

その後帰国して、平成25年5月から兼六法律事務所に勤務することとなりました。

なぜ金沢?といろんな方から聞かれます。

所長に声をかけて頂いて、事務所訪問のために初めて金沢を訪れたのが4月だったから。兼六園から金沢城までを埋め尽くす、満開の桜並木を見て、なんてすてきなところなんだろう。満員電車もない、交通渋滞もない、そして町ゆく人がちょっとした機会には着物を着こなす。こんな町で過ごしたいと思いました。

そして、今日に至っています。

満開の桜並木、着物を着こなす金沢の人々。そんな場所で働きたい!

まっすぐで平坦な道を生きてきたわけではないからこそ、寄り添った弁護士活動をしたい

私も、決して真っ直ぐで平坦な道を生きてきたわけではありません。だからこそ、生きることにいろいろな困難を感じておられる方々に寄り添った弁護士活動をしたいと考えています。

ご両親の介護で悩んでいらっしゃる方。財産の管理等は成年後見制度を利用された方が良いかも知れません。

夫婦関係を維持することにとても耐えられないと思っていらっしゃる方。
ご親戚との相続争いに悩んでいらっしゃる方。
交通事故にあわれて保険会社の提案に疑問を感じていらっしゃる方。
借金に苦しんでいらっしゃる方。

ひとりで悩んでおられずに、一度、ご相談にいらっしゃいませんか?
私と一緒に、解決への道を探し出してみませんか??

寄り添った弁護士活動をしたい