笠谷洵史
昭和62年 富山県出身
こんにちは。兼六法律事務所の弁護士の笠谷洵史です。
ここでは、私の自己紹介と、弁護士になった経緯や志について、お伝えしたいと思います。
昭和62年 | 富山県で生まれる |
平成21年 | 上智大学法学部卒業 |
平成25年 | 上智大学法科大学院卒業 |
平成26年 | 弁護士登録 |
平成27年~令和4年 | 弁護士法人一番町綜合法律事務所(東京)にて勤務 |
私のルーツ、弁護士を目指した経緯について
富山県高岡市のはずれ、周りは田んぼだらけで、学校までお店ひとつないような田舎町。そんな風景の中、私は育ちました。
大学入学と同時に上京し、法学部に通いましたが、当時は弁護士になろうと思っていたわけではありませんでした。しかし、弁護士といえば、厳かな法廷に立ち、豊富な知識と弁舌で戦う格好良い職業で、もし自分がなれたらどんなに誇らしく、楽しいだろう…なんて、漠然と思っていたかもしれません。
大学の同期たちがにわかに就職活動で騒ぎ始めた頃、私が生涯の仕事にしたいことは何だろうと考えました。
思えば私は、昔から「人」が好きで、「人の話を聞くこと」が好きでした。
その人が、何について悩み、どんな感情を抱いているのか、どうしたら打ち明けてくれるのか、自分は何を求められているのか、ということを考えながら、少なくとも「この人に話して良かった」と思ってもらえる誠実な人間であろうと心がけてきた、という自信がありました。
このような私が思う自分の性質と、社会に貢献できる仕事とを掛け合わせたとき、弁護士という職業に思い至ったのです。
東京での弁護士経験で気づいたこと
当事務所に入所する前、弁護士登録後の約8年間は東京の法律事務所で勤務し、内2年間は、日本野球機構(NPB)の組織内弁護士として勤務しました。幸いにして、社会的な大事件に関わる貴重な経験を得ることもできました。
しかし、自分が弁護士であることに価値があるとすれば、やはり、先に述べました「誠実に人の話を聞く」という点にあるのだという思いが強くなり、心機一転、東京を離れることを決めたのです。
弁護士は、紛争の当事者ではなく、一方の「代弁者」に過ぎませんが、誰しも様々な事情を抱えていて、きちんと自分の考えを言葉にできなかったり、言いたいことが正確に相手に伝えられていなかったりすることがあります。これまで私が担当してきた案件の相手方にも、そういう方はたくさんいました。たまたま声の大きい人が、声の小さい人を不当に打ち負かすような社会であってはいけません。そうならないために、法律と、私たち弁護士がいると思っています。
誰もが信頼できる弁護士(もちろんそれは、私でなくて構いません)と出会い、安心して悩みを打ち明けられれば、紛争を未然に防ぐことができるかもしれませんし、納得できる解決へと近づくことができるでしょう。地域の方々や企業にとって、私もその一人となれるようにと願い、この金沢の地にやって参りました。
大切にしていること
弁護士の主たる仕事は、法律のプロフェッショナルとして、依頼者の方々に対し法的なアドバイスを提供し、ときに相手と交渉し、場合によっては裁判上の手続等を通じて依頼者の利益を実現することです。
そう言うと、とてもドライな話に聞こえますが、我々の仕事は、依頼者の方々に真摯に向き合い、耳を傾けることから始まります。法的に妥当な結論があるとして、それに納得できるかどうかは別物ですし、決断には時間がかかります。また、法的に正しいと言われている手段や結論が、依頼者の私生活、今後の人生を考えたときに、最良であるとも限りません。そういった法律論の先にある未来を見つめ、依頼者の方の抱えている悩みを一緒に考えられる弁護士でありたいと思っています。
是非、皆様の悩みを教えてください。小さなことだと思い止まる必要はありません。今抱えている心の重荷を少しでも軽くして、前を向いて進めるように、お手伝いさせていただきます。