2022年01月27日

遺産はどのように分割されるのか?―知っておきたい遺産分割協議書の重要性

1 遺言書がない場合の遺産の行方

遺言書の重要性を理解して頂くためには、遺言書がなかった場合に、遺産は具体的にどのように分割(承継)されるか、これを知っておくことが大事です。

12月16日にアップした、「法的無知だと損をします―知っておきたい遺言書の重要性とその作り方」の事例に沿って、説明します。

武雄さんは、若くして、B子さんと結婚し、一児(A男)を設けました。しかし夫婦関係はうまく行かず、A男が2才の時、B子はA男を連れて家を出て行き、やがて離婚となりました。B子は、結婚前の姓となって、A男を連れて九州の実家に戻りました。A男もB子の籍に入り、姓もB子の姓を名乗るようになったのです。

その後A男と武雄さんは全く交流がないまま、武雄さんは57歳で死亡しました。別れてから30年以上の歳月が流れていました。武雄さんは再婚し、久美さんと結婚しましたが、その2人の間には子どもができないまま、武雄さんは死亡したのです。久美さんは、最後まで武雄さんの介護を尽くし、武雄さんは久美さんに感謝の言葉を残して、逝去しました。武雄さんは生前、遺産は全部お前(久美)に上げる、と繰り返し口にしておりました。が、それを文書にしたことはなく、遺言書はありませんでした。

2 相続人とその相続分

この場合の遺産は、法定相続人である、武雄さんの妻久美さんと実子であるA男の2人に承継されます。この場合の法定相続分は、それぞれ2分の1、ということになります。

残された遺産は、人に貸していた不動産(土地建物)と預貯金及び投資信託が若干あって、時価合計8000万円でした。

3 遺産分割(承継)手続き

武雄さんの遺産を相続人の名義に移す手続き、これを遺産分割手続きと言います。これは、相続人の誰かが動かない限り、そのまま放置されることになります。その場合、不動産も預貯金も、武雄さん名義のままになってしまいます。その名義を相続人名義に移すために相続人間で作らなければならないもの、それが、遺産分割協議書です。これは、遺産をどう分けるか、相続人間で協議して、協議結果を文書にしたものです。

A男は、久美さんに対し、とりあえず自分が遺産を管理して処分をするから、清算は後ですることにして、全部任せて欲しい、と言って来ました。そして、A男は、遺産分割協議書を作って持参して来たのです。

本来、A男の言葉のとおりの遺産分割協議書を作るとすれば、次のようになります。

 

…………………………サンプル1 ここから………………………………………

遺産分割協議書

被相続人・法務武雄(昭和○×年△月□○日生、本籍:東京都千代田区霞が関1-1-1、平成△×年□月○日死亡)の逝去に伴い、共同相続人間で協議した結果、下記の内容で合意したので、本書を作成して、各自署名捺印する。

  •  遺産は、すべて、相続人A男が取得する。
  •  A男は、遺産を換金した後、前項の代償金として、久美に対し、金4000万円を支払う。
  •  上記以外には、久美とA男の間には、何らの債権債務がないことを相互に確認する。

令和  年  月  日

住  所

氏  名                   実印

(印鑑証明書添付)

……………………………サンプル1 ここまで………………………………………

 

ここで上記条項の(2)にある「代償金」というのは、遺産を現物で分割した際に取得する金額が公平にならない場合、それを調整するために支払う金額のことです。この(2)があれば8000万円の遺産を公平に分けることができる訳です。

ところがA男は、そのような説明は一切しないまま、(2)の規定が欠落し、上記の(3)を(2)に繰り上げた形の遺産分割協議書を作成し、持参していたのでした。それがこれです。条項部分だけを紹介します。

 

………………………………サンプル2 ここから……………………………………

(1) 遺産は、すべて、相続人A男が取得する。

(2) 上記以外には、久美とA男の間には、何らの債権債務がないことを相互に確認する。

………………………………サンプル2 ここまで……………………………………

 

A男は、とりあえず書いてもらうけど、あとで清算するから心配いらない、と言って、署名押印を求めて来ました。そう言われれば、疑う理由はなく、久美さんはその言葉を信じて、住所氏名を記載して実印で押印し、印鑑証明書も交付したのです。

4 その後の経過

それから1年が経過しました。久美さんは、A男から連絡がなかったので、連絡を取ってみました。そうしたところ、遺産は全部換金されて、A男が取得していることが分かりました。代償金の話を持ちかけても、話をそらされるばかりで、話は全く進展がなかったのです。

5 弁護士の非情なアドバイス

騙されたのではないか、と思った久美さんは、弁護士に相談に行き、経過を説明して、遺産分割協議書(上記サンプル2)を見せました。

弁護士は、「『後で清算する』と言われていたとしても、遺産分割協議書の上ではそうなっていないため、権利行使は難しい。」「遺産は、何ももらえませんよ。」と言うのでした。

6 事件の決着

これで久美さんが納得できる訳がありません。「何とかならないのですか。」と重ねて尋ねましたが、弁護士は、「この協議書だけですと、あなたに勝ち目はありませんね。」と繰り返しました。

「ただし」、と弁護士は助け船を出してくれました。「後で清算する、とA男が言っておりながら、その通り実行しない、とのことですから、あなたは、詐欺の被害に遭った可能性があります。詐欺による遺産分割協議は取消ができます。また、後で清算される、という前提で判子を押したのであれば、錯誤(さくごー勘違いのこと)による合意、ということになります。錯誤による合意については、無効である、と主張できる場合もあります。ただし、そういう口約束があったことは、久美さんが立証しなければなりません。それを証明する証拠がありますか?」と弁護士から尋ねられたのです。

久美さんは、「特に証拠はありません。ただ、A男から言われたことは間違いありません。」と言うほかありませんでした。

そこで、弁護士は、A男とのやりとりや言われた時の状況を文書にまとめて裁判所に提出できるようにして欲しい、それがあれば何とか交渉してみましょう、と言ってくれたのです。そういう、久美さんが一方的に書いた文書(陳述書と言います)も一つの証拠になる、とのことでした。そこで、久美さんは陳述書を作成し、それに基づいて、遺産分割の調停を起こすことにしたのです。

その結果、詳細は省力しますが、陳述書の力と弁護士の尽力により、何とか、遺産の4分の1に当たる金額をA男から払わせて、事件は決着しました。この調停の手続きについては、次回、ご説明したいと思っております。

7 遺産分割手続きのポイントを抑えましょう

久美さんは、武雄さんの死後に、遺産の分け方をA男と協議した時の対応で、大失敗をしてしまいました。本来なら、A男が持って来た遺産分割協議書に押印を求められた際、すぐに押印せずに持ち帰って、弁護士等の専門家に相談してみるべきでした。

とかく相続の際には、他にも書かなければならないいろいろな書類があったりします。いろいろな書類の一つとして、その書面を示されていた場合には、重要性を考えないまま、軽い気持ちで署名押印してしまうこともしばしばあります。

ですから、上記サンプルを参考にして、遺産相続の書類に実印や印鑑証明書を求められたら、よくよく注意して、押印する前に、持ち帰って専門家に相談して欲しい、と思います。

8 久美さんは泣き寝入りするしかないのでしょうか?

本件では、もし遺言書があれば、久美さんは遺産全部を取得できたはずです。仮に遺言書がなくても、遺産分割協議書を作る段階で、A男の言葉を鵜呑みにせず、押印前に弁護士に相談していれば、遺産の半分は取得できました。ところが久美さんは、実際には遺産の4分の1しか取得できませんでした。遺産は全く取得できなかった可能性もありました。

このような事例を見ると、何だ、久美さんは泣き寝入りするしかないのか、法律もいい加減なもんだな、と思うかもしれません。

しかし、私は言いたい、久美さんのしたことを否定したり非難するようなことは言うな、と。そもそも遺産というのは、自分の財産ではなく、夫ではあったとしても、あくまで他人の財産です。また、経済的利益を得ることが全てでは無いはずです。

片や、財産目当てで行動して、その過程で、自己中心的言動を繰り返し、周囲の信用を失う人があります。一方で、誠実な行動を貫くことで、周囲の信頼を得て、良好な人間関係を築く人があります。久美さんは一連の行動(特に、夫の介護等)で、周囲の称賛と信用を得ました。これこそ目に見えない無形の重要な財産になっています。

こんな場合は、目先の損得だけでなく、人生全体の損得を考えてみたらどうでしょうか。久美さんの言動は、これから先、様々な幸福の芽を出すのではないだろうか。久美さんの幸福を念じるばかりです。

執筆者プロフィール
弁護士 二木克明 >>プロフィール詳細
相続問題と労災事件に注力している。
相続問題は,年間相談件数44件(受任件数40件)(※直近1年間)の豊富な経験を持つ。
依頼者のお気持ちを大切にすることを心がけている。

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