世代交代に失敗して破産した事例
1 私の知人で、こんな人がありました。ある会社(X社とします)の社長正雄さんです。彼は昭和一桁生まれで、日本の高度成長時代に先代から会社を引き継いで、事業を拡大し、建築業や土木業、そしてギフト商品販売店経営にも業種を広げ、地元の有力者として、親族からも地域住民からも、一目置かれる存在になりました。
複数の会社の代表者として躍動しているうちに、年齢は60才を過ぎてしまいました。この社長には、長男と次男がおり、いずれも会社に入って働いていたのですが、次世代に地位を譲ることができないまま、推移しておりました。そうこうしているうちに、正雄さんは脳梗塞で倒れ、入院したのです。重篤なものではなかったものの、右手と右足に若干の麻痺が残り、ろれつが十分には回らない、という後遺症が残りました。
無事退院はできましたが、麻痺が残っている訳ですし、正雄さんの年齢などからして、社長を若い人に譲るのに丁度よい機会だったと言えるでしょう。ところがその後も、正雄さんは社長の地位にとどまり続け、経営の決定権を手放すことができませんでした。社員も家族も、正雄さんが断固として決めたことには異論を挟むことができず、反対意見を述べる人に対して、正雄さんは厳しく接しておりました。
そうこうしているうちに、正雄さんの会社は技術革新やIT化などの時代の流れから徐々に取り残され、業績は悪化して行ったのです。やがて、正雄さんのグループ企業は行き詰まり、返済資金に事欠くようになって、倒産してしまいました。そのため、正雄さんだけでなく、会社の連帯保証人となっていた、長男と二男及びその各配偶者まで、破産しなければならなくなってしまったのです。正雄さんは75才になっておりました。
グループ会社の常務をしていた二男に聞いたところ、病気になる前の正雄さんは、実行力があり、尊敬できる父でした、病気で倒れた後も、その前の印象がずっと残っていたので、こちらからは社長交代の提案などをすることもできず、社長からもそういう話がなされなかったため、世代交代できなかった、とのことでした。
2 なぜ世代交代に失敗するのか
世代交代に失敗する例は山ほどあります。理由は様々ですが、その大きな理由は、1度得た社長という会社での最高権力者の地位を明け渡すことは、苦痛を伴う、ということです。これは、私たちの心を冷静に分析してみれば分かります。地位や権力が欲しい、手に入れた地位や権力は手放したくない、という心です。会社の社長というのは、まさにこの欲が満たされる地位にほかなりません。
社長を降りるとどうなるか。社長とは、代表取締役です。役員報酬が支給されます。社長を辞める、ということは、その役員報酬が無くなる、ということです。
また、代表取締役には会社の決定権があります。社長を辞めると、それが無くなります。その結果、決定権があるからこそ従っていた社員(従業員)が、自然に離れて行きます。つまり一般の従業員から見ると、社長だから用があったのであって、社長でなくなると用が無くなってしまいます。こうして、社長を降りると、お金も人も離れて行く、ということになります。
これは大変な苦しみです。愛している人や物(お金を含む)が自分から離れて行くのですから。
かかる背景から、事業承継に失敗する事例が多くなるのでしょう。
3 家康の遺訓―「辛くても苦しかった時を思い出して堪忍せよ」
これを踏まえて、日本の歴史上、世代交代に最も成功したと言ってよい、徳川家康の言葉に耳を傾けてみましょう。家康は、徳川300年の礎を築き、生存中に隠居して権力を2代目秀忠に譲り、平穏な形で生涯を閉じております。
その家康の遺訓が「不自由を常と思えば不足なし。こころに望みおこらば困窮したる時を思い出すべし。堪忍は無事長久の基、怒りは敵と思え。」です。この世というのは、そもそも、自分の思い通りにならない所だから、思い通りにならなくても、それで腹を立てるのではなく(不自由を常と思え)、忍耐することが円滑な世代交代を行い家を長く続ける秘訣ですよ(堪忍は無事長久の基)、と家康は徳川家の子孫に言い聞かせているのです。
社長としての権力や報酬を捨てるのは、辛い面があります。後継者にトップの座を譲るというのは、正に、権力や報酬を失う苦しみを甘受する、ということです。でも、過去の辛かった時のことを思い出せば、その程度の堪忍はできるはずだ、耐え忍ぶこと、これが後継者を育てる要諦である、と家康は指摘しているのです。
相続問題と労災事件に注力している。
相続問題は,年間相談件数44件(受任件数40件)(※直近1年間)の豊富な経験を持つ。
依頼者のお気持ちを大切にすることを心がけている。